宣教

不可能が膝をかがめる時

 詩編100:1〜5 Ⅰヨハネ4:16〜21
 「キリスト教の本質というものは、イエスの語られた如く、われわれが愛することを通してのみ神との交わりに到達するということである。生き生きとした神認識の一切は、われわれが心の内に、それを愛の意志として経験するかどうかにかかっている。」(A.シュバイツァー)世界一級の神学者、オルガニスト、医師が全てを捨ててアフリカに渡りました。アフリカ行きを残念がった師に、「神がわたしを呼んでいますから」と称賛と名誉の地に別れを告げました。神が呼んでいない人生などないのです。
 この世の価値観の中には平安が存在しないことをしっかりと知りつつも認めたくない自分がいます。そんなわたしに主は、「解き放て」と言われます。「わたしの愛にとどまれ!」と。
 イエス様御自身の足跡をたどること、それは愛を生きることに他なりません。使徒たちは、信仰の先輩たちは、主とともに愛を生きました。奇跡とは神の業ですが、これこそキリストの十字架と復活に示された愛によって担保されているものなのです。
 不可能(サタンのはたらき)が膝をかがめるのは、賛美と愛の満ちる喜びの宴です。