156センチの視線

「命を・・・8月」

今年9月に、第40回「日本自殺予防シンポジウム」が、第39回「日本自殺予防学会」と共に、青森市で開催されます。日本にいのちの電話が開局して44年。「あおもりいのちの電話」が教会の理解と支援を得て開局してから20年(準備期間を入れると22年)、これまでの歩みを振り返る良き時が与えられました。
 自殺予防に取り組むこの働きは、「いのち」と向かい合うために設立されました。それは、英国国教会のチャド・バラ―牧師が一人の少女の死を悲しみ、こうした悲劇を繰り返す事のないようにと、心の痛みに共感する電話相談を思いついたのが始まりでした。
 「自殺予防シンポジウム」の挨拶文を作成するにあたり、思いを巡らしている中で、「安保法案」の、いのちに対する想像力,慈しみと哀しみ、共感の欠如、いのちへの冒涜を覚え、新たな怒りが次から次へと湧き上がって来ます。そんな中、加えて、川内原発の再稼働。これがいのちの軽視でなくて何でしょうか。
 今回改めて「エゴと戦争」こそが、神の創造の意志への最大の反逆であることを思わずにはいられません。わたしたちは歴史の最後に立っています。しかしそれは、これからの歴史の最初でもあります。「いのち」は過去から繋がれ、未来にに繋げていく営みです。それ故に現在が問われています。宗教は政治にそぐわないと考える人がいます。しかし、「いのち」に関わらない宗教とは何でしょう。いのちを考える8月です