宣教

「神の畑」

 出エジプト20:1〜3、マルコ4:1〜9
 「種まきの譬え」です。最後に「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた言葉は、「わかった気にならず立ち止まり耳を傾けよ」という意味です。
 イエス様は、「道端、石地、茨の中、良い地」に落ちた種のことを語りますが、7節までの「種」は皆、単数で書かれています。「一粒の麦」なのです。イエス様は、「種蒔き」のことを話しながら、「種一粒」のことを考えています。 
 「種蒔きだもの。少しぐらいの無駄が出て当然」と受け止めると何の感慨も湧きませんが、一粒に目を留めるとことは一変します。
 「良い土地」がどこであるかは特定できません。人目に隠されています。「ど根性〜」のように!それが教会です。その教会につながっているのがわたしたちは皆、良い地に落ちた種なのです。
 「わたしが今ここにいる」のは、伝えてくれた人がいたからです。良い畑とは、「選ばれた畑」ということができます。畑は、自分を売り込み植えてもらうのではなく、農夫が、「ここ」と決めます。石ころの痩せた土地を選び、石を取り除くことも…。「天地創造の前にキリストにおいて選び…胸が高鳴ります。