宣教

「あなたに仕えられる神」

           フィリピ2:6〜11
 一人ひとりが個性を与えられているように、世界中の教会は多様性に満ちています。しかし、すべての教会で行われていることがあります。それが礼拝です。人はなぜ教会に集まり、礼拝するのでしょうか?その答えを知るためには、礼拝される対象を知る必要があります。
 初代教会でも讃美歌が歌われていました。その歌詞を要約すると「イエス・キリストは神の身分でありながら、しもべとして世に来られ、すべてを与えられ、徹底的に謙遜を歩まれつつ、死に至るまで従順だった」というものです。主イエスの十字架の犠牲を通して神の深い愛を知った人々は、この圧倒的な愛の前にひれ伏して賛美したのです。彼らの礼拝は強制されたものではなく、自発的であり、愛に満ちていました。
 神である主は賛美されるべきお方であるのに嘲りと罵りを受けられ、王の王としての権威を持ちながら茨の冠を受け、苦しむ必要などないのに十字架で死まで経験されました。それは、あなたを愛し、命を与えたいと願っておられる神の御心を行うためです。この素晴らしい愛が自分自身に向けられていることを喜び、いつも希望に満ちているところに、礼拝があるのです。