宣教

「神なきところに神を見る」

 エレミヤ29:11~14、マタイ7:7〜12
 イスラエルの人々は、捕囚の地で神を見失っていました。果てしなく続く労苦は永遠に感じられ、彼らは故郷の土地に思いを馳せるのです。なぜなら、神は故郷の神殿にいると考えていたからです。
 私たちの日々の歩みの中で、神を遠くに感じることがあります。特に、試練の中では、神が必要に応えてくださらないことばかりが心を支配します。それは、まるでイスラエルの捕囚の日々のようです。しかし、神は大胆に宣言します。あなたのために立てた計画は平和の計画である、と。将来と希望を与えるその計画のゆえに、神は良いもので私たちを満たそうと、今も私たちの祈り求める声を待っています。
 一日の中で、神に祈り求める時間を持っているでしょうか?ある人は朝、ある人は夜かもしれません。そのどちらがいいのか、神はご存知です。そう、どちらもいいのです。神はあなたの求めに応じてくださる憐れみ深い方です。「そのとき」私たちの祈りを聞いてくださるというのは、いつでも私たちを待っていてくださることの現れです。そして、その時時に応じて、良いものをくださる準備をしてくださっているのです。