156センチの視線

7月3日「御言葉を分かち合う」

今週の祈祷会では、マルコの福音書4章を共に分かち合いました。種をまく人のたとえ話の箇所でしたが、分かりづらいところも共に読むことで、新たな気付きが与えられた時となりました。
 実は、朝の祈祷会でも、夜の祈祷会でも、同じ箇所が話題にのぼりました。それはイザヤ書の引用部分でした。分かりづらい時は、他の福音書の並行箇所を読んでみるのも一つの方法です。みんなでマタイの福音書に目をやると、そこにはマルコよりも詳しく、分かりやすく記されていたので、「神は悔い改めて、信じさえすれば、どんな人でも救ってくださる」ということが分かりました。その時、ある方がこんなことをおっしゃいました。「マタイはきっとこのことをどうしても伝えたかったんでしょうね。」
 マタイは取税人レビとしてイエス・キリストの弟子となった人物です。同胞から搾取する者として生きていた彼が主と出会い、十字架と復活を体験することで変えられていったのです。そんな彼がユダヤ人同胞に向けて、イエスこそ待ち望んだ救い主だということを大胆に訴えたもの、それがマタイの福音書です。
 祈祷会は聖霊に満たされています。リードする私の不甲斐なさはありますが、主が変えてくださることを信じます。あのマタイのように。