156センチの視線

9月11日「感謝を生きる」

 主はわたしに、感謝を生きることができるようにと、妻の出来事を与えてくれたように日毎に深く思わされています。今のわたしは、溢れるばかりの祝福の中にいます。
 ここ2年ほど前から、日々の基調を「賛美と感謝」にすべく心がけ、書き、祈ってきました。が、なかなか生活にならないことに、もどかしさと焦りを感じてきました。意識すればするほど、これらと対極にいる自分と出会い、自己嫌悪に陥るという悪循環の中でもがいていました。
 日記に一日の最初に、前日の「感謝」を、それでも書き続けました。「感謝できない自分に気づけて感謝」「愛のひとかけらもない自分と出会い、それでも愛の中に置かれていることに気づき感謝」…という具合です。どんなに両親、家族、妻、子供たち、教会の方々…に支えられてきたことか。それでも、少しずつこころの目が開かれてくるようでした。そんな中に「浪岡の時」が与えられました。
 当たり前のことなど何一つない、ことを味わいつつ、この時の中にいます。
 「日照り続きは砂漠をつくる」です。「心の貧しい人、悲しんでいる人は幸いである」ことが少しわかるような気がしました。どんな時も御手の中、感謝が溢れます。朝夕、サラの散歩も、少ない祈りの時を補ってくれます。本当にありがとうございます。