宣教

11月27日「御霊に導かれて」

ルカ1:26〜38
 一人の少女、マリアの人生は、ある日突然、救い主の母という役割へと変化していきました。そんなことは、考えたこともなかったことでしょう。マリアは天使から告げられた喜びのメッセージに「戸惑い」ました。当然の反応です。
 神が私たちの人生に介入してくる時、そこに「戸惑い」が生じます。「どうして、そのようなことがありえましょうか。」という言葉の裏には、自らを神としてしまう、人間の悲しい側面が浮き彫りになっています。私たちは、容易に神を受け入れることができません。なぜなら、私の王座には、私が座っているからです。それを神に譲るということは、神が人生の主導権をとっていくことを認めることに他ならないからです。たとえ、それが「おめでとう、恵まれた方」という素晴らしい祝福のメッセージであったとしても、戸惑うのです。
 しかし、戸惑いながらも決断し、信仰へと踏み出した少女が握りしめたのは「神にできないことは何一つない」という御言葉でした。「この身に成りますように。」この信仰告白があってはじめて、世界の救いが成っていったのです。