宣教

12月25日「苦難を超えて」

IIコリント5:17〜19
 私たちは厄介な問題が、厄介な人が、周りからいなくなればいいのに、と願います。しかし、聖書の中の信仰者たちの周囲には、いつも厄介な人たちがいなかったでしょうか?
 神が私たちをご自分が望むままに形成して、成長させたいと願っておられるので、時には厄介な人たちを送ってくださるのです。そして、あなた自身も他の人を形作るための厄介な人なのかもしれません。
 人は関係性の中にいます。他者からは元気をもらうか、吸い取られるかの二者択一です。力を吸い取る相手を変えたいと願いますか?しかし、私たちがその相手の魂の至聖所に入ることはできません。ですから、人は人を変えられません。その相手の魂に立ち入りが許されているのは、その人自身と主イエスだけです。ですから、私たちはその相手のために、主に祈る必要があります。そして、主が指し示す方向性は、いつも和解に向かっています。そして、私たちはすでにその和解の言葉を与えられているのだと聖書は語ります。その言葉を身に宿し、私たちを赦して下さる主イエスを仰ぎ見ながら、厄介な自分に、厄介な他者に出会っていきましょう。