156センチの視線

5月14日「母の日によせて」

母は3年前に92才で帰天しました。「吾、なんも聖書の事わがねがら、おめだち、聖愛さ行って、聖書の事、神様の事、勉強するんだ」と言い、姉と私に聖愛で学ぶ機会を与えてくれた母。裕福ではなかったのに、三沢から弘前の私立高校に2人の娘を入学させてくれたものだと、改めて両親に感謝しています。
「聖書の事、なんもわがね」と言いながら、毎週日曜日を楽しみにし、正装していそいそと教会へ出かける母。水曜日の祈祷会も楽しみにしていたようです。母が家で熱心に聖書を読んでいる姿は、残念ながら見かけたことはありませんでしたが、よく讃美歌を開き、歌詞と関連のある聖書箇所を読んで信仰の養いにしていたように思います。何か事が起きても「神様が、ちょうどよぐしてくれるべ」と、神様に揺るぎない信頼をしていました。また、「あー、神様、感謝します。ありがとう、感謝申し上げます。」と祈っていた母。
父が帰天した時、母の好きな御言葉「全ての事、相働きて益となるを我は信ず」(文語訳ローマ8:28)を座頭石のキリスト教霊園の墓石に刻みました。「このお墓に来て、孫たちが『おじいさんやおばあさんが教会へ行ってだんだな』って思い出してければいいな」と言っていた母でした。          石川 康