宣教

10月15日「幸せになりために・十戒 ④」

出エジプト20:7 マタイ1:23
 名前はその人の人となりを示すものとして、単なる記号ではなく、自他共に影響を与えるものとして存在しています。そして、神の名を示すヘブライ語は、モーセに語られた「わたしはある」という言葉です。
 ユダヤ人は、「神の名をみだりに唱えてはならない」という律法を極端に捉えて、神の名を呼ばない、という選択をしていきました。そして、主「アドナイ」と呼ぶように決め、いつしか「わたしはある」という名前が忘れ去られていきました。その名が忘れ去られていく時、「わたしはある」という方に出会ったときの感動も薄れていったのです。やがて、イスラエルの民の心は、神でないものへと移っていったのです。
 みだりに唱える、というのは、神の性質を誤らない、ということに近いと言えるかもしれません。神の働きを象徴する名前はたくさんありますが、私たちが神のことを誤って理解しないために、神はご自身のイメージをこの世界に投影されました。それが、主イエスであり、その十字架と復活の歩みなのです。
 その方の名はインマヌエル。我らとともにいてくださるお方です。あなたがそう感じないときでさえも、いつも「わたしはある」お方なのです。