宣教

12月17日「救いの計画」

申命記18:15〜22 ヘブライ7:24〜25
 救い主の誕生と十字架と復活へとつながる足音は、旧約聖書の至る所に見られます。モーセも霊に満たされて、預言者が与えられること、彼に聞き従う必要があることを民に宣言しました。
 やがて、神に背を向け、自らの不信仰を刈り取るように、絶望に沈んでいく人々を前に、預言者たちはその不信仰を厳しく問いただし、神に立ち帰るように語り続けてきました。しかし、主が山上で語られたように、人々は預言者の言葉に耳を貸さず、迫害し、殺しました。そしてついに、モーセをはじめとした預言者たちが言ってきた、その方がこの地にやってきました。盲人は目が開かれ、足の萎えた人は歩き、あらゆるものから解放された人々の喜びが広がっていきました。ところが、あの日、自分たちの思い通りにならないとわかると、人々はその方を迫害しました。
 神の言葉を携えてやって来た人の死。いつもと同じ景色が広がっていました。しかし、他の預言者とはまったく違っていたのは、その方は神ご自身であったということです。死から復活され、今も永遠に生きておられる方は、悲しみの連鎖を終わらせるために、ご自身の痛みを通して、人々の悔い改めを待っておられます。