宣教

4月29日「戻るべき場所」

詩篇56:4  ルカ22:39〜44
 主イエス・キリストは神の御子として、神と等しいお方だと聖書は語ります。しかし、同時に主は私たちと等しいとも語られているのです。主は神であると同時に、完全に人になられたのです。
 十字架という試練を前にして、主はゲッセマネの園で苦しみを露わにされました。その様子は、悲しみもだえ(マタイ)、地面にひれ伏し(マルコ)、血の混じった汗が地面に流れ出るほどでした(ルカ)。
 神が苦しまれる、という姿は、私たちを困惑させるかもしれません。人々を愛し、癒やし、奇蹟を行う方が、苦しまれることなどあるのだろうか。その疑問に対する答えがここです。実に、主は苦しまれたのです。それも、単なる不安などではなく、どうにもならない壁のような大きな試練に対する恐れをもたれたのです。
 しかし、主はその苦しみをどこに持っていくべきかを完全に理解しておられました。それは詩篇に描かれた信仰者の模範と重なります。そして主はご自身の状況を具体的に、誠実に主の前に注ぎ出しました。ありのままで向き合って、立ちはだかる大きな山が動かせないことに心をとめず、その山を創造した方の元に行ったのです。
 あなたも同じようにして良いのです。そこに主が用意した、あなたに必要なものがあるはずです。