宣教

8月5日「七つの本質ー適応可能な構造」

マルコ2:23〜28
 主イエスが向かわれる場所では、いつも神の国の到来と、それによる悔い改めが起こりました。悔い改めとは、180度の方向転換をすることです。しばしば、それが人々の思想や価値観を根底から揺り動かすものとなり、ある人々は大切にしてきたものをないがしろにされたと思い、主に反発しました。
 人々の間で多くの議論を巻き起こしたのが安息日の規定についてのものでした。旧約の時代、安息日の周囲には細部に渡って禁止事項が付加されてきました。それを守れない者は罪人とされ、町の外に追いやられていきました。貧しい人は、その原因を罪に求められ、安息日に苦しんでいました。
 しかし、主はここにも悔い改めの必要を求められました。まさに180度の方向転換です。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(2:27)
 これは人々にとってどれほどの解放感をもたらしたでしょうか。安息日の主は、その目的をはっきりと知っておられ、人々を呪われた労働から解放する意味を込めて休みを備えられたのです。それは、やがてくる完全な安息に向けてのプロローグでした。主は時代を変化するために、古いことを廃棄するのではなく、成就することを望まれています。