未分類

8月19日「主のなさるときは時にかなって美しい」

先週は家族と特別な時間を過ごす一週間でした。虹の湖、鰺ヶ沢の海水浴場、ヒロロ、子どもたちと連日のように外出し、父も弘前にやってきました。
 神を愛する人々と過ごし、神に愛されている素晴らしい家族が与えられ、神に愛されていることを人々に伝える日々。こんな人生は想像もできませんでした。これらのもののうち、自分の力だけで得たり、成し遂げられたものは何一つありません。すべて神の計画と愛によって、与えられた人々と出来事の中で建て上げられてきたのです。
 机の上に上がっている家族の写真、愛する子どもたちの写真を見るたびに、このことが尊い犠牲の上に成り立っているものであることを考えさせられます。息子の救いと引き換えに与えられた重い病にさえ感謝する姿に、十字架の主の姿を見ました。母との別れの夜、主が連れてきてくれたベッドサイドでの二人きりのひとときが忘れられません。あの時がなければ、今もなお、罪に縛られ続ける人生を送ったことでしょう。
 「神のなさることは時にかなって美しい」そう言える人生を多くの方にも送っていただきたい。そのために「地に落ちた一粒の麦」を用いられる主の壮大な計画に畏れを感じます。