宣教

8月26日「はじまりはいつも」

                イザヤ6:8
 イザヤの召命を受けて、いったい何人の方々が主に献身し、どれほどの場所に遣わされていったことでしょうか。そして、そこでどんな経験をされたことでしょうか。
 イザヤが示されたのは、理解に苦しむ内容でした。「心を頑なにするメッセージ」と言われる難解な内容を心に、それでもイザヤは人々に仕えていきました。彼が主から語られたこと、それはまさに、あの十字架の救い主、イエス・キリストのことだったのです。
 主は、主でありながら受け入れられませんでした。その物語は、人の理解を超えたストーリー展開で、誰も予想しないものでした。しかし、主が地上に来られる以前から、人々が主を受け入れない姿勢は現れていました。エジプトから救い出しても、約束の地に向かうときも、エルサレム神殿を再建しても、人々は主なる神のみわざを仰ぎ見ながら、一時のハネムーン状態を謳歌するにとどまったのです。それは、あのエルサレム入城にも見ることができます。
 今、心を頑なにすることから始まった主の物語は、それでもなお、主に信頼する人々によって受け継がれ、紡がれています。あなたは残された聖なる種子。あなたから主の新しい物語が始まるのです。