宣教

2月3日「神の友になる」

出エジプト32:7〜14  ヨハネ15:14〜15
 聖書は神のこと、そして救い主イエスのことを「王の王、主の主」と表現しています。主が王の王となるためには、他の王がいる必要があります。その王とは、誰のことでしょうか?
 主イエスは弟子たちに「主人としもべ」、「父と友」の対比について語られました。奴隷が主人に仕えるのは、支配から、または恐れからです。しかし、父に子が仕えたいのは、愛しているからであり、自発的なものです。そして、主が弟子たちを友と呼ぶということは、神も私たちの友になりたいと願っておられるということです。
 事実、聖書の中で神は人々との間に素晴らしい関係を築かれています。特に、モーセのことを、主は友と呼んで親しく関係を持たれました。人々が神に背き、好き勝手なことをしているさまを見た神は怒りに燃えて彼らを滅ぼそうとしますが、モーセは神をなだめて、不信仰な人々のためにとりなすのです。結果として、神は災いを思い直されました。
 神が全知全能性を放棄したようにも見えるこの箇所は、私たちに神が人格を持っておられることを提示しています。そして、何よりも神が操り人形ではなく、ご自身と顔と顔を突き合わせて交わる親しい関係を持つ存在として私たちを見ていることを示しているのです。もちろん、あなたもその神の友の一人です。