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2月17日「主の復活にある、希望と慰め」

先週の木曜日、ご自宅での納棺式と出棺式、そして火葬場での火葬前式、拾骨式、教会での告別式と、一連の葬儀を執り行うことができました。今までは、石川牧師と共に葬儀に携わってまいりましたが、一人で行うのは初めてだったことに気が付きました。
 告別式のあと、お手伝いをしてくださったり、参列してくださった教会の方々の中で、何人かの方がおっしゃいました。「私のときも安心ね。」嬉しい半面、寂しい気持ちになりました。いつか別れが来るのは分かっていますが、それを考えると胸が締め付けられました。
 弘前に遣わされて6年が過ぎています。もっと長くいたような気がするのは、きっと中身の濃い、充実した日々だからだと思います。「牧師は会衆に育てられる」と教えられてきました。日曜日の礼拝が終わると、「今日のメッセージ良かったよ。」と言ってくださる方々がいます。毎回、「素敵なメッセージをありがとうございました。」と言って握手をしてくださる方がいます。自分では納得出来ないと思うときでさえ、そのような励ましがある中で、これまで育てられてきたことを感じています。
 これからも、深い交わりを持った方々の葬儀をあげる日が来ることでしょう。その度に、主の復活が確かな希望となり、大きな慰めになることは間違いありません。