宣教

3月31日「持てる全部で」

マルコ6:31〜44
 主イエスは休息を取ることを奨励される方であり、決して何かに急かされる方ではありませんでした。しかし、この世界はスピード感を求めていないでしょうか。そして、神の奇跡的なわざは、人里離れた場所で起こりました。
 その日、主イエスは弟子たちに権威を委ねようとしましたが、彼らはそのことの意味をまだ理解していませんでした。そこで、主は人々を少グループに分けて、その一つひとつの家族的なグループを祝福され、奇跡で満たしたのです。
 この家族的なグループは過ぎ越しの祭りを一緒に祝うグループでした。日常的に交わり、そこで励まし合う関係を築いていました。それはまさに、現代の教会共同体のようなものだったのです。
 主は教会の頭であり、その共同体にご自身を分け与えてくださる方です。その共同体に求められているのは、持っているものを出し合うことでした。5,000人以上の人々を満たすために、パンは何百万円分も必要だと思うのが常識です。しかし、これで全部です、とそれぞれが精一杯を主に差し出すならば、たとえそれが常識的に見て不足していると思われるようなことであったとしても、人々が満たされる、というその目的が果たされていくのを見ることになるのです。