宣教

5月5日「赦しからはじまる物語」

ヤコブ4:7〜10
 聖書の中を覗いてみれば、登場する人々の人生は、成功よりも、失敗の方がはるかに多いと思えるのではないでしょうか。サクセスストーリーであれば、真似てみようと考える人たちもいるかも知れませんが、なぜこのような失敗談を赤裸々に告白し続けてきたのでしょうか。
 実は、神に対する告白こそ、私たちをありのままの姿に戻すための作業に他ならないからではないでしょうか。そして何よりも、神はそのような失敗談があってもなお、私たちを愛してくださるということ。それがあの十字架の出来事だったのです。私たちは前提として、そこからスタートする必要があるのです。
 私たちの失敗談を聞くことは、神にとって必要なことではなく、私たちにとって必要なことなのです。神は私たちが失敗談を告白することを通して、自らの人生を軌道修正し、主イエスの歩みとその十字架に現された神の深い愛に気付くことを望んでおられるのです。罪の告白は、私たちの側に与えられた成長の場であり、将来の生き方を宣言する場です。
 聖書の登場人物の歩みが失敗とともに始まったこと。失敗こそ、神との出会い、予想もできなかった生涯への招待状だったことを思い出してください。