宣教

8月11日「かたちなきいのち―愛」

エレミヤ31:2  Iコリント12:31b〜13:3
 日を追うごとに、このみ言葉が心に響いてきます。「愛がなければ、無に等しい。」がそれです。思い出される一つ一つに、「あの時、あそこに、愛があっただろうか?」と問う日々です。そして、この今に!
それと共に、マザーの、「生きている愛は傷つきます イエス様はご自身の愛を証するため わたしたちの身代わりとして 十字架上で死なれました母親は自分の子を産むために 苦しまなくてはなりません もし皆さんがお互いに正しく 本当に愛し合っているのなら 大きな犠牲がなければなりません」の言葉を思い出します。
 「預言、神秘、あらゆる知識、山を動かすほどの完全な信仰」を、信仰のもとに手にしたいわたしたちです。そのようなわたしたちに、「愛がなければ無に等しい、何の益もない」のみ言葉には、一点の曇りもありません。見事です。わたしたちはこのところに召されています。なんという明快さでしょう。
 イエス様の歩みの、何という香しさでしょう。八木重吉の、「神のごとくゆるしたい 人が投げる憎しみをむねにあたため 花のようになったらばかみのまへにささげたい」の祈りの前に首を垂れる自分です。今一度、「今ここに、このわたしに」愛があるだろうかと問う信仰でありたいものです。