宣教

9月8日「罪と絶望のただ中で」

創世記28:10~22  ヨハネ21:6
 ヤコブ(かかとを 握る者)は族長の一人で、イスラエ12部族の父でもある。彼は、兄エサウをだまして長子の特権を奪い逃亡します。
 奸計をめぐらし、自分の事しか考えようとしないヤコブが、どうしてイスラエルという名前まで与えられて、12部族の父祖とされたことに、素直にうなずけないものがあります。
 彼が兄の仕返しを恐れて逃亡する途中、荒れ野で石を枕にして眠った時、見た夢はあまりに有名です。「先端が天にまで達する階段を…神のみ使いたちが上り下りして」いたのです。自らの罪故に陥った荒れ野にも、思いもかけない確かな主の守りが。
 夜通し働いたが何も魚一匹獲れなかったペトロたちでした。しかしその所にも、共におられたお方がいたのです。そのお方の「ことば」に聞き従ったとき、同じ湖で、同じ網で、同じ仲間で、まったく異なる出来事と出会った彼らでした。
 わたしたちは、わたしたちそれぞれの物差しで人生を測ります。しかし聖書は、どんな状況の中にも新しい時が訪れることをわたしたちに語っています大切なことは「誰と共に」生きるかです。神の約束である、「インマヌエルの原事実」に目覚める者こそが、新しい時を生きる者とされるのです。