宣教

3月1日「風と共に歩む」

ヨハネ3:1〜8
 聖書の至るところに自制や鍛錬を奨励する箇所があります。ところが、このような言葉を見ると、とたんに拒否反応が起こる人たちがいるかも知れません。「鍛錬」と聞くと、非常に退屈で忍耐を必要とするもので、正直あまり面白みのないものと考えませんか。それは、聖書の言う霊的鍛錬と、単なる頑張りとを混同しているからだと思います。
 しかし、主イエスは、ご自身が与える軛は負いやすく、荷は軽いと言われました。そして、主のように変えられていくことこそ、神が私たちに求めておられることです。それは、私たちが歯を食いしばって獲得するようなものではありません。聖霊がそのことを導いてくださると聖書は教えているのです。
 主は議員のニコデモに「風は思いのままに吹く」と聖霊の話をされました。聖霊はいつも自由であり、私たちもいつでも自由です。実際のところ、私たちが不自由を感じたり、霊的成長に困難を感じているとすれば、主が意図するものと何かが違っているのかもしれません。
 私たちがキリストのように変えられていくのは、神の奇跡です。変えてくださるのは神であり、私たちが努力で勝ち得るものではないからです。