宣教
5月10日「奪いされないもの」
IIコリント4:16〜18
コロナウィルスの影響で、多くの人が仕事を失ったり、命を失ったりしています。また、当たり前にできていたことが制約されたりしています。非常な忍耐を必要とするこのような状況の中で、何を希望として抱いていけばよいのでしょうか。
仕事、お金、勉学、命…。私たちが大事にしていたものが失われる時、その依存度が高ければ高いほど、受けるダメージも深刻です。パウル・ティリッヒという神学者は、宗教とはその人にとって究極的なもの、という概念を打ち出しました。主イエスの弟子として歩む私たちの歩みは、主が究極的に大切にしていたものを大切にすることです。
聖書に出てくる、ある青年は、お金が大事すぎて主に従うことができませんでした。その青年にとって、お金は主ご自身よりも究極的なものだったからです。それを失うことは、ラクダが針の穴を通るほど難しいことでした。
昨今の混乱の中で、人々が究極的なものを捉えなおす機会を与えられています。あなたにとって、究極的なものは何でしょうか。それは、永遠の価値があるものでしょうか。今一度、神のみ前でそのことを自分自身に問うてみる時です。