宣教

10月18日「霊的な供え物」

Iペトロ2:1〜5
 聖書は一人の人をとことん大事にしています。それは、悪い意味ではアダムの罪が全人類に及んでいること、良い意味では、キリストの福音がすべての人に有効である、ということです。
 また、私たちは一人ひとりがキリストを頭とする共同体の祭司であると言うのです。祭司の役割は、神と人との間に立って、執り成しをすることでした。ユダヤ教の祭司は、会衆に混じって、人々と同じように祝福されることを許されていません。大祭司であるイエス・キリストは、同じように、祭司としての生き方を見せてくださいました。それは、神と罪人の間に立って、全てを背負い、祝福したということです。
 すべてのことは、一人の人から始まる。聖書を開いてみると、主イエスを頂点として、そのことが多く語られていることに気づくでしょう。神がもたらそうとする大きな祝福は、あなたという一人から始まるのです。
 十字架の上で一人ぼっちだった主の祭司としての姿は、それを見た弟子たちによって拡散されていきました。始まりはいつも一人の人なのです。
 聖書は、どんな人が祭司に向いているか、などと書かれていません。すべての人が祭司であり、そこから神の素晴らしいみわざが始まっていくのです。