宣教

10月25日「神への信頼」

マタイ6:25〜34
 「思い悩むな。」そう言われて、思い悩まないことのできる人がいるでしょうか。思い悩んでしまうのが人間です。しかし同時に、信仰の究極の姿を言い表すとすれば、神への絶対的な信頼は、思い悩まないことへとつながっていることもまた事実でしょう。
 主イエスは思い悩む人々を前に、悩みに対していくつかの事例を上げて教えられました。まず、神への信頼を奪い去るような思い煩いの根源として、命を取り上げます。また、備蓄しない生物との比較、寿命を左右するもの、創造の美と人工美の違い、自分の限界を生きる人々の姿、そして、思い悩まないで生きるために神が与えた方向性です。
 このすべての事例について、必要なことは神に対する信頼、すなわち信仰です。この世界、この人生に何が起こるか分からない。そんな日常の中で、唯一確かなものを土台とすること。それが、神の国と神の義を第一とする、という命令なのです。
 明日、何が起きるかわからない世界で、明日は明日が心配する。すなわち、心配はない、とおっしゃってくださる方、明日を知る唯一の方。主なる神が、私たちの必要を満たしている。そのことに戻ることができる。そのために、御言葉が与えられ、信仰が与えられているのです。