宣教

2月21日「まことの礼拝」

ローマ12:1〜2
 使徒パウロは、「神の憐れみによって、あなたがたに勧めます。」と言います。憐れみとは何でしょうか。それは、相応しくない者に、それにも関わらず与えられるものを言うのでしょう。
 私たちは神の憐れみなしには生きていくことができません。心臓が勝手に動き、自力で生きているようですが、実は生かされているのです。どうして生かされているのでしょうか。生かしてくださっている神は、何が目的なんでしょうか。
 その昔、ユダヤ地方ではモーセの律法が遵守されていました。その中には、いくつもの前触れが記されています。何の前触れかというと、イエス・キリストの誕生とその生涯を示す前触れです。主人と奴隷について書かれている項もそうです。よい主人に仕えている奴隷は、話を聞くまでもなく判別可能でした。奴隷である彼らは、社会の中でひときわ輝く存在でした。家族揃って社会に主人の素晴らしさを証しする人々となっていたわけです。
 私たちがささげる真の礼拝とは、儀礼的なものでもなく、献げものでもなく、輝いて生きることです。れは、私たちの姿を見た他の方々が、私たちの素晴らしい主人、イエス・キリストを知るためなのです。