156センチの視線

7月18日「本当の自由とは」

 先週の祈祷会では、「真理はあなた方を自由にする。」(ヨハネ8章)の御言葉を分かち合いました。主イエスは「私は道であり、真理であり、命である。」とおっしゃいました。主こそ真理なのです。
 まだキリストを知らない頃、自由とは何ものにも束縛されない状態だと思っていました。しかし、ホッブズやロック、ミルやヒュームのように、自由をテーマにして思想を展開してきた人々の意見にも見られるように、国家や法が必要だったり、どこに行っても、何ものにも束縛されない自由は無さそうです。ですから人々は言うのです。「自由には責任が伴う。」
 しかし、自由とは、そもそも罪人である人間が自己発明的に生み出せるようなものではないと聖書は断言し、主は「もし、わたしの言葉にとどまるならば」と自由の出どころを明確にします。
 実際、自由とは国家にでもなく、法にでもなく、ましてや自分勝手でもなく、キリストのもとにしか存在しないのだと私は知ったのです。
 そして、究極的に言えば、神が与えたもう自由を「どう生きるのか」であり、神に背くという自由を行使してしまった失楽園のごとく、御言葉から離れないように生きることが本当の解放ではないかと思うのです。