宣教

7月25日「新しい人生への招き」

ルカ7:11〜17
 主イエスはナインという町で息子を亡くした母親に出会いました。彼女は泣いていたのでしょう。そこで、主はおっしゃいました。「もう泣かなくともよい。」
 あなたが悲しみのどん底にいる時、他の人から「もう泣かなくともよい。」などと言われたらどんな気持ちになるでしょうか。もしかすると、感謝の気持ちではなく、「あんたに何が分かるの?」といった怒りの感情に傾くのではないでしょうか。では、主はなぜこのようなことをおっしゃったのでしょうか。
 聖書には希望という言葉が出てきます。これは、確実な未来から伸びてくる切れない糸のようなものを示す言葉です。希望というと、今から考えて、おぼろげな未来を予想して、ポジティブに捉えることのように思われがちですが、聖書の描く希望は全く違います。それは、永遠の神の都、天国と密接につながる一本の切れない線のことなのです。
 神は人に命を与え、時を定めて引き上げてくださいます。その行き先を知っているか知らないかで、「もう泣かなくともよい。」という言葉の意味が変わってきます。
 主はその天から来られたただ一人のお方。涙のぬぐわれる場所から来られた方なのです。