宣教

8月8日「平和の原点」

詩編119:105   ヨハネ8:31-38
 何度も繰り返しこの季節に思い出すのは、「八月や 6日 9日 15日」の句です。この季節に、日に何度も心に浮かんできます。そんな中、今は、コロナ禍の中でオリンピックが行われています。
 「平和の祭典」の中で、この時を迎えることも大きな意味を持っているのかもしれませんが、そのことを日本政府はどのように受け止めているのでしょうか。大きな課題です。
 主は、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」といわれました。平和は、神の御心であり、その為に主はこの世に受肉されました。主の祈りの、「御名が、御国が、御心が…」の祈りは、主の思いが祈りとなったものです。
 今日の「真理はあなたたちを自由にする」は、神の御心への招きであり、平和への促しです。「わたしの言葉にとどまるなら」と主は言われます。しかし世の権力闘争は、平和とは対極にあります。「自分の自由」は「他者への抑圧」に容易にすり替わります。
 自由とはキリストを通しての、神との関係を離れては存在し得ないのです。わたしたちは平和の原点である「自由」は、「インマヌエル」の出来事であることを心に刻みつける必要があります。「天国は・あなたの嫌いな人が沢山いる処」でもありますから。