宣教

10月31日「憐れみに生かされて」

 ヨハネ1:14~18
 ヨハネによる福音書の冒頭には、天地創造からイエス・キリストの十字架と復活まで、聖書のすべてが要約されています。神の言葉である救い主イエス・キリストが受肉され、人となられたことは驚くべきことです。なぜなら、神は罪のない方であり、罪の世に存在できない方だからです。
 このように、聖書の中には一見、矛盾していると思われるような記述が多くあり、神のなさることも時には疑問に思うことも多くあるのが事実です。では、聖書はなぜそのような矛盾をあえて置きながら、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。
 かつて、世界には唯一の純粋な信仰者がいました。その名はノアです。彼は神の命令に従い、方舟を作るというライフワークをはじめます。毎日取り組んだとしても、一生かかってできるかどうかの大仕事です。方舟が完成すると、神は大水を送り、世界の罪を洗い流すのですが、この物語にはいくつかの矛盾点があります。
 「義人は一人もいない」と聖書が語るように、私たちはみな罪人です。それなのに、生かされ、祝福されています。この大いなる矛盾こそ、神の憐れみ深さの現出と言ってもいいでしょう。