宣教

11月14日「一粒の麦として」

イザヤ53:1-6   ヨハネ12:20-26
 三浦綾子さんの書いた『塩狩峠』をよんだことがありますか?『信徒の友』で1966年から2年半連載された小説で、映画にもなりました。国鉄(JR)職員であった永野信夫の乗った列車が暴走…。
 この小説の最初に、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ」の御言葉が書かれています。実は、私の机の前の壁に、「一粒の麦 もし地に落ちて死なば 多くの実を結ぶ可し」と書かれた賀川豊彦の筆になる書が貼ってあります。遠く及ばぬ自分を見つめ、現在地を知る道標となっています。
 これは、イエス様がご自分の生を現わしたもので、
キリスト教会のみならず、自らの身を捨てて仕える姿を表す一般的な言葉としても用いられます。最も難しいことは、この「キリストに倣う」ことです。
 人々の歓呼の声に迎えられた「エルサレム入城」の後、訪ねて来たギリシャ人(福音が全世界に発信される小さな始まり)に語られたものです。福音の真実、十字架の出来事とその力を表した白眉ともいえる言葉です。福音とは「贖罪」であることを。
 「生」は死によってもたらされ、命を捧げることにより命が、愛のみが新しい命の時をもたらすことを知ること無しには!「一粒の麦に!」と。