宣教

2月20日「喜びの根拠」

フィリピ4:4~7
 フィリピの信徒への手紙は喜びの手紙と呼ばれています。しかし、執筆したパウロは牢獄の中にいました。そのような状況にあって、「喜びなさい」と言うのです。
 喜べるような現実がある人に、「喜びなさい」と言う人はいないでしょう。言われるまでもなく、喜べるのですから。この手紙は、フィリピの教会で失われつつある「喜び」に再びフォーカスするようにと、パウロがしたためたものなのです。
 ところで、喜ぶためには根拠が必要でしょう。自分にとって嬉しいことがあれば喜ぶ根拠となるように、喜べないときに喜ぶためには、ひきつった笑顔にならないための根拠が必要なのです。パウロは喜ぶことの根拠をどこに置いていたのでしょうか。それは、彼の信仰の歩みに神ご自身が応えられた、その体験でした。
 牢獄の中で賛美していると、看守や囚人たちは平安になり、錠前が外れ、扉が開き、神の出来事が起こったのです。神への賛美と福音の喜びが世界を切り開いた瞬間でした。
 私たちは、あの時の神と同じ神を信じています。彼らに起こったことが私たちには起こらないと、どうして言うことができるでしょう。賛美の中に住まわれる主が、あなたの喜びの根拠です。