宣教

2月27日「復活の証人」

使徒2:32
 初期キリスト教会の人々は、聖書を手にしていませんでした。彼らが持っていたもの、それは復活の主に出会った、という証でした。
 あの日、荒野で洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を授けた時、ユダヤ全土から人々が押し寄せました。しかし、復活を目にした人たちはたったの120人。ペトロの情熱的な証により、復活の主を目にしたわけでもないのに信じた人々がおよそ3000人でした。一見、多く見えますが、父なる神を信じる人々全体から見れば、まだ微々たるものでした。
 しかも、この復活の話は荒唐無稽過ぎて、アテネの町では嘲笑の的になりました。それは、この話が口で伝えたからといって、すべての人が受け入れられるような話ではないからです。では、そのような信じがたい出来事が、現代になっても力を持つのはなぜでしょうか。
 そこに、命を奪われる状況の中にあっても喜んで天国の希望を持つ人々がいました。主のように、砕かれた人に寄り添う人々がいました。互いに愛し合う、共同体の謙遜な姿がありました。
 証とは、復活の主を見た人々を見た人々の話です。綿々と受け継がれる聖霊の流れの中に、今、あなたもいます。