宣教

7月3日「神の目的」

マタイ4:1~11
 主イエスは宣教に先立って悪魔の誘惑を受けるために聖霊に導かれて荒野に導かれました。誘惑とは避けるべきものではないのでしょうか。それとも、受けるためにあるものなのでしょうか。
 何とか福音の拡大を抑えようと、悪魔はあらゆる誘惑で挑戦した、とあります。他にもたくさんの誘惑を受けたと思われますが、そのうちの3つが誘惑の本質的なものとして描かれているのです。
 悪魔の誘惑は、どれも神の言葉を曲解しています。御言葉には力がある、と聖書にある通り、悪魔は誰よりも神の言葉の偉大さを理解しているために、その力を悪用するのです。しかし、目的は神の御言葉とは別のところにあるため、どこかで偽りを挟む必要があります。ですから、神の栄光が表されるかどうかを考えることが、偽りを見抜く鍵となるでしょう。
 悪魔の誘惑は、偽りを偽りと思わせないように仕組まれているのがポイントです。まるで詐欺のようですが、詐欺の目的が金銭であるように、悪魔の偽りにも目的があります。それは神から引き離すことです。
 しかし主は、神から引き離される出来事へと自ら歩まれました。それがあの十字架です。それは誘惑ではなく、みこころに歩む時の試練だったのです。

※動画の撮影ができず、公開できませんでした。いつも楽しみにしてくださっている方々に感謝するとともに深くお詫びします。