宣教
7月31日「贖いの代償」
民数記3:44~48
出エジプト記を読むと、今日の聖書箇所で登場する273人の長子は死ななければならない状況であることが分かります。そころで、神さまは273人を犠牲にするのではなく、彼らの罪を許し、彼らの命の代わりに5シェケルを払わせたのです。
どうして神さまは彼らにお金を払わせたのでしょう。実は、神さまは彼らと続けて関係を保つために5シェケルを彼らに払わせたのです。彼らが自分の命の値段である5シェケル(約今の3500円)を見るたびに、神さまへの感謝や礼拝の心に満たされることを神さまは願っていたのです。
私たちクリスチャンもイエス様に救われた後、「イエス様は人生で必要なのだろうか」と思うのでしょうか。具体的にそう思わなくても、私たちの日常生活はイエス様を忘れて生きる生活に近いのではないでしょうか。しかし、イエス様が私たちをお救いになった理由は、救われて終わるのではなく、私たちとの絆を毎日強くしたいからなのです。イエス様と共にするこの信仰の旅は素晴らしいものです。忘れそうな時、忘れたい時もあります。それでも、イエス様が私たちのために準備してくださった聖霊様、教会と共に今週もイエス様と一緒に毎日を送りましょう。