156センチの視線

1月15日「キリストの体」

先日、突然に、現日本基督教団総会議長の雲然俊美(秋田桜教会)牧師から電話を頂いた。「何のことだろう?」と電話に出ると、『弘前西教会四〇年誌』に寄稿してくれた、笠原金吾牧師の言葉、「教会は、昔も今もキリストの身体である」を用いたいので了解を、とのことでした。勿論「よろこんで!」と返事しました。
 伝道者となって足掛け50年、伝道開始当時、奥羽教区議長であった笠原先生には本当にお世話になりました。事ある毎に、「イエス様だったら?」と問いつつ、「笠原先生だったらどのように?」の問いを重ね続けてきました。
 笠原先生は、教団を愛しておられ、「どのようにしたらキリストの身体を形成できるか?」を問い続けてこられました。その先生の弟子である雲然牧師が総会議長の重責を担うことになりました。
 笠原先生の祈りが聞き入れられたことを全身で感じました。そして今、教団も、「教会はキリストの身体」として新しい祈りを続けることになり、不思議な感動が身体を貫きました。
 「祈りは聞かれる!」の確信が与えられ、感謝が溢れました。教会のお一人お一人も…、祈りの実りであるとの喜びが全身を包みました。共なる祈りの祝福に包まれた御手の「寒」の津軽です。  石川