156センチの視線

2月12日「今、この時を」

 昨年にも勝るとも劣らない雪に、少々うんざり、というのが本音です。これほどになると、いい加減な除雪をされると腹が立ってきます。そうすると、わたしの雪片付けも思ったようにはうまくいかず、ますます不機嫌になっていきます。
 そんな時、フッツと渡辺和子シスターの言葉を思い出しました。シスターがアメリカの修道院に入って間もなくの時のことです。忙しい中、朝食の準備をしているとき、先輩の修道女に声をかけられます。「和子、あなたは何を考えて食器をおいていますか?」と。腹立たし気に、乱暴な配膳の姿に気づかせるためだったようです。「別に」と答えると、次のように言われます。
 「乱暴に置くことも、ここに座る人に祝福がありますようにと祈って置くこともできます。あなたは?」と。彼女は「ハッ」と気づきます。「今、この時を、どのように…⁉」過ごしていたかに。
 神様から与えられた「この時」とどのように出会っていくか、が信仰であり、生活であることを噛み締めました。1時間半の除雪のこの時が、祈りの時となるか、つぶやきと不平のサタンの支配下の時となるのか!?危ないあぶない!
 まだしばらく続く雪の時、祝福の祈りを積み重ねる時としたいと願い、祈っています。  石川