宣教

4月30日「最高の作品として」

エフェソ2:10
 絵画として出された作品を、彫刻として見る人がいないように、私たちも神が意図した最高の作品になるはずでした。
 しかし、様々な環境や状況を通されて、自分を見失う時があるでしょう。自ら絵画であることをやめて、彫刻になろうとする日々が始まると、その不可能なビジョンを達成するために、不毛な努力をしていて、気力を失ったり、そもそも自分に価値を見いだせなくなるものです。
 聖書は私たちを神の最高の作品だと終始宣言してやみません。それは、何か素晴らしい功績を上げたとか、すごい立場に立ったからではありません。私たちが私たちだからです。弱さがあり、道を見失い、時には人を傷つける。そんな一人ひとりを受け入れてくださるのが神だと聖書は伝えているのです。
 日本社会は「失敗」を容認しづらい社会だと言われていますが、神の目には「失敗」などあり得ないのです。あなたが「失敗」だと思っていることも、やがて時が来ると実を結ぶ大切な種の一つに過ぎません。
 聖愛中高に入学されたお一人おひとりは、今まで神を知らなかったかもしれません。しかし今、本当の意味で、つくり手と作品が出会う時が来たのです。