156センチの視線

6月23日「しかしの後に」

 「だから大丈夫」これが聖書の根幹だと、日々気付かされている今日このごろです。
 聖書には「しかし」という言葉がとても良く出てきますが、その「しかし」という接続詞に挟まれている前の文章は苦難や試練であり、後に続くのは主の驚くべきみわざや希望に満ちた約束の御言葉です。そして、その約束はことごとく成就していきます。
 聖書の中に記された教会の歩みもまた、生まれたばかりの頃から苦難の連続です。「しかし」その都度、主は不思議を行ってくださり、生きて働くお姿を見せてくださっています。また、聖書には記されていない、その後の教会史も同様に、失望や腐敗があり、これまた苦難の連続です。「しかし」今もなお、世界中に福音は轟いています。
 私たちの教会も、始まる前から懐疑的な意見や冷ややかな反応に囲まれていました。「しかし」主は、その栄光を教会に現してくださって、今があります。
 そして、私たち個々人にも、様々な苦難がありました。今もあるかもしれません。「しかし」なのです。
 さあ、これから主がどんなことを見せてくださるのでしょうか。「しかし」の後に続く景色は、今あなたが見ている景色も含まれているのです。