宣教
6月30日「見えないものを見る」
IIコリント4:16~18
聖書は重要なことを伝えるために、二つの事柄を比較することがあります。例えば、約束の地の情報を知ったヨシュアたちとその他の人たち。また、ゴリアテと戦う直前のサウルとダビデのように。
使徒パウロは、私たちが見るべき視点を、このような聖書のルールに沿って、二つの事柄を比較しながら伝えています。「外なる人」と「内なる人」、「一時」と「永遠」そして「見えるもの」と「見えないもの」です。
パウロが伝えたかったのは、「見えないもの」を見ることでした。しかし、見えないものをどうやって見ることができるのでしょうか。
ヘブライ人への手紙の11章には、神を信じて歩んだ聖書の登場人物たちとその生涯が羅列されています。その一番最初には、こう記されています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)
さらに、聖書の登場人物の歩みに先んじて、「信仰によって」という言葉が添えられているのです。彼らは、信仰によって、見えないものを見るようにして歩んだ人たちだったからです。
主イエスが十字架の上から見ていた景色は最悪でした。罵声と侮辱を浴びせる人々の内に見ていたものは何だったのでしょうか。それこそ、彼らの内にある、「見えないもの」だったのです。