156センチの視線

7月28日「正しい人はいない」

 多くの人が言います。「神がいるなら、どうしてこんなにひどいことが起こるのか」と。信仰がご利益と等しい我が国ではなおのこと、そのような声は大きいのではないかと思うのです。
 しかし、主イエスはおっしゃいました。「互いに愛し合いなさい」そして、誰がそれを完全に守っていると言えるのでしょうか。
 聖書が言うように、この世界に義人は一人もいません。裁きの日、神の前で「私は正しい人です」と言える人などどこにいるでしょう。もしいるとするならば、それは自分自身を分かっていない人だけでしょう。「神は私たちにこんなひどいことをする。」「悲惨さを無視している。」そのような主張を、あの十字架の主を前にして、自らの犯してきた過ちを振り返って、誰が言えるのでしょうか。
 教会には「我こそが罪人のかしらだ」と自省する人々が集っています。誰よりも、自分が罪深いと分かっているからこそ、十字架の主こそ救い主だと分かるのです。
 主が天地を創造され、はじめて人が罪を犯してから、世界は何も変わっていません。神の愛は変わらず、人の罪は深いのです。
 だからこそ、主は十字架にかからなければならず、その責任を自ら負ってくださり、私たちを憐れんでくださっているのです。誰が、その主に向かって、「ひどい方だ」と言えるのでしょう。そのことを改めて感じる今です。