宣教

8月18日「主の祈り I」

マタイ6:9-13
 主イエスは人々に祈りの本質について教えられたあと、「だから、こう祈りなさい」と「主の祈り」を教えられました。
 「だから」とは、何だったでしょう。キーワードは「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」と「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」ということです。そのことを「だから」とおっしゃるのです。どういうことでしょうか。
 「主の祈り」の冒頭、主は「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。」と祈り始めるよう教えられました。「御名が崇められますように」ということは、「御名が崇められていない」現状に対する祈りです。
 あなたは御名を崇めていますか。絶えず祈るということは、絶えず崇めるということと同義です。でも、主はそれができていない現状をご存知の上で、御名を崇められるように祈り始めることを教えたのです。
 これは、祈りとは何かを考える上でとても重要なことです。「〇〇してください」の祈りの本質は「私の思い通りになりますように」です。そうではなく、まず最初に「御名を崇めること」つまり、私たち自身の思いよりも主の御名が偉大であること。その基本からすべてが始まるのだと主はおっしゃっているのではないでしょうか。