156センチの視線

8月18日「何に献身したのか」

 同志社を卒業し、牧師として10年間の牧会経験を積んだ方々が集まるセミナーに行く予定でしたが、台風の影響で飛行機が欠航し、残念ながら欠席となりました。
 しかし、現地の方々が苦慮してくださって、Zoomで参加することができました。同志社の神学館で学び合った仲間たちの10年ぶりの姿は、あまり変わりませんでした(笑一番変わったのは私かもしれません。
 みなさんの発表や交わりで感じたのは、とても優秀な方々が、それぞれの場所で小さなことに忠実に仕えておられることでした。ただ、みんな疲れているな、というのが正直な感想でした。その顔を見ると、「私は楽しんでいます!」と焼けた黒い肌で元気にアピールすることなどできませんでした。
 アメリカの組合教会が守ってきたスタイル、その方法論を小さなことまで忠実に守っている姿は、その方々の献身的な働きを連想させるとともに、欧米式から脱却できずにいる日本の社会的な構造にも共通しているような気がしました。
 かつて、カトリックが畏怖の念を覚えた日本の殉教者たちの姿。その献身性は今も受け継がれていると確信しますが、誰に献身し、どこに仕えているのか、悪魔が巧妙に相手をすり替えている印象を強く感じました。