156センチの視線

9月1日「主を知り、自分を知る」

 教会のホームページが古くなってきました。10年以上前、私が来たときに素人ながら自作したものです。この10年で、ホームページを見て来た方々が本当に多くいらっしゃいましたが、そのためにも、この小さな働きを主が用いてくださったことに感謝しています。
 教会に来ている青年が、「教会のホームページは古いですよ」と教えてくれました。おそらく古く感じるのは、牧師紹介のカテゴリーに鎮座する私の写真でしょう!岩住先生は、その写真のことを「この教会に来る時、若干の不安を感じました」と笑ってくれました。
 今年に入ってから、痩せたら着ようと取っておいた洋服を実際に着用してみると、年齢相応ではなく、全力で老化に逆らっている人に見えたため、断捨離しました。
 かつて主を信じていなかった頃、私は他の人の意見に流されるだけの存在でした。高校時代の親友に「ウッシーは外見だけだね」と言われたのは、笑いながらであったとはいえ、決して冗談ではなく、中身のない私を案じての言葉だったと今は分かります。なぜなら、こんな私でさえ、主を信じた今では、自分がおっさんであることを素直に認められるからです!
 主を知ることは自分を知ること。主の祈りを通して自分自身が学んだように、自分を知ることが本当に大事だという視点は、御言葉に新たな角度を与えてくれます。