宣教
9月15日「人生の豊かさ ②」
マタイ5:17-20
主イエスとその弟子たちは、律法を遵守する人々にとって異質な行動が目立つ存在でした。それゆえに、律法を守ることにかけては超人的な努力を重ねてきたファリサイ派や律法の大切さを教え、人々を導いてきた律法学者たちからは疎まれたのです。
しかし、主は律法を破るために来たのではなく、完成させるために来た、とおっしゃいました。しかも、神の律法の一点一画をもおろそかにしないと言われるのです。
聖書には様々な律法、すなわち神の定めたルールが記載されています。これは、神の国の法律と言ってよいでしょう。そして、私たちは望むと望まないとに関わらず、一人ひとりが神によって創造された、神の国の国民であり、神の国の法律のもとに置かれています。
主イエスを信じると、この法律が聖霊によって私たちの中にやってきます。忘れかけていた大切な基準です。その基準によって、この世界を見始めるときから、私たちの見る世界は変わっていきます。
さらに、外なる世界だけではなく、私たちの内なる世界も変化を見せ始めます。律法とは、すなわち十字架と復活の主ご自身であり、その基準が私たちが何者なのかを教え、導いていきます。
ですから、主は律法を廃棄される方ではなく、律法を成就する方なのです。それはすべて、あなたのためでした。