宣教
10月27日「人生の豊かさ⑤」
マタイ5:38~42
主イエスが伝えられた聖書の御言葉は、どれも挑戦的な内容で実践が難しいものですが、この御言葉は別格でしょう。そして、あまりにも衝撃的なために、広くクリスチャン以外にも知られています。果たして、主は悪に対して無抵抗でいるように教えているのでしょうか。
この箇所は復讐を自分のところで終わりにする。そういう意味として読まれることの多い箇所ですが、それでもなお、やられ損のように感じてしまうのが正直な気持ちではないでしょうか。さらに、右の頬、左の頬という言葉は、やられた上にさらに別の暴力をするように、相手に仕向けることだと理解してしまいがちです。
しかし実は、右の頬を右利きの相手が打つ場合、手の甲で打つ必要があり、これは手のひらを汚さないために叩く屈辱的な行為であり、相手を見下すものでもあるのです。そんなことをされれば、相手に同じような苦痛を味わわせたくなりますが、ここで主は左の頬を差し出すように教えています。左の頬を出すことは、相手の手を汚すことでもあり、対等であること、いえそれ以上の高潔さ示すものでもあるのです。とすると、ここは、卑劣な悪に対しての戦い方を教えている箇所となります。
十字架の丘の上では、人々を愛し、あらゆる幸福で満たそうとされている主が、人々から屈辱的な扱いを受けていました。私たちもその一人です。それでも主は、左の頬を出し続け、勝利を得たのです。