156センチの視線

最善は今ここに

 「今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び踊ろう」(詩編118:24),「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(Ⅱコリント6:2)。全ては、「今、ここに」あることを、心に刻みつけて歩まなければ、との思いのなかに過ごすこの頃です。
 「きみの心に刻み込め。くる日、くる日が最良の日、だと。」(エマーソン) 「あの時は…!」と思うことの多いわたしたちです。しかし本当にそうなのでしょうか。「『青春がたのしい』と言うのは迷想である。青春を失った人たちの迷想である。」(S.モーム)の言葉には共感します。
 「若いころは良かった』という意味の言葉を聞く度、なんとも言えな居心地の悪さを感じてきました。それは、今を色褪せたと感じる自分の今を補償するためのまやかしに感じてしまうからです。青春が苦しかったのはわたしだけなのでしょうか。 「最善はまだ来ていない。今ここにこそある!」ことこそ、このペンテコステの出来事なのです。それは、「今、ここに」ある、イエス様の臨在による「新しい創造」の出来事が、「わたし」の出来事となったからです。
 最善は過去にではなく「キリストと共なる今』にあります。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(Ⅱコリント5:17)最善の今を感謝しましょう。ペンテコステは今、ここに。