宣教

祈りを生きる

 箴言25:21・22  ローマ12:9〜21
 あなたの行動原理は何でしょうか。考えたことはありますか。自分としっかり向かい合うと、「怒りと嫉妬」がその原因であることに気づく人が多いのではないでしょうか。人類最初の殺人事件(カインとアベル)も嫉妬から発した怒りによるものでした。
 戦後70年、世界はまたもやおろかな歩みに逆戻りしつつあります。そんな中で、「主の祈り」の豊かな命に気づきます。キリスト者の生活と信仰が余すところなく明らかにされています。
 イエス様の宣教の始まりは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」でした。イエス様と共に、その時、「天が地に侵入」したのです。いと小さき者が貴まれる天の国がやってきたのです。
 教会とわたしたちは、その天国を生き、また、地上に天国をもたらすために招かれました。それはいつも、「今、ここで」神様との愛の関係を生きることです。それは、「自分で復讐せず神の怒りに任せる」すなわち、愛を生きつつ、神の最善を信じることです。
 「御名が、御国が、御心が」と祈り、それを切なる願いとし、感謝しつつ生きるところに、「キリスト者の標準」聖霊に導かれる、新しい生活があるのです。