宣教

「試練と神の真実」

申命7:6〜8、Ⅰコリント10:12〜13
 試練に遭い、「何故?」「どうして?」「このわたしが?」と事がある度に問うてきたわたしたちです。そして今、わたしたちは立っています。「だから、立っていると思う人は、倒れないように気をつけるがよい」とパウロは語ります。そしてさらに、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかっったはずです」と。「いつだってあなたがたは試練に耐え、守られてきたではありませんか。神は真実な方です」と。
 ヘブライ語で「試練」は「バーハル」で、もともと「選ぶ」という意味です。申命記7章6せつで、神様のイスラエルの「選び」にこの言葉が用いられ、神様が「選ぶ」ということは、神様が「試練を与える」ということで、聖書においては、「選び」と「試練」は一つにつながることがわかります。
 わたしたちはこのような試練の奥義を知る時、試練の中にあっても「神は真実な方です」と告白することができる者とされています。それ故、どんな試練の中にあっても、「試練と共に〜逃れる道をも備えてくださる」との信仰に立つことができます。キリストの十字架と復活に支えられて、試練も希望の中なのです。